[日誌]カリスマリーダーと組織改革

日本の政治が改革を必要としているのは大方の一致を見ている。特に,官僚主導から政治主導へという政策立案過程の変化が重要だと思うが,自民党も民主党もその改革の必要性の点では一致しているようだが,その手法はまったく正反対のようだ。

小泉氏や麻生氏のようにリーダーシップをパフォーマンスで示し,強化していくカリスマ性の多い政治家を総裁に選びやすい自民党は,政治家個人のリーダーシップを重視して難局を乗り切っていこうとする志向といえるだろう。

これに対し,民主党は政治家を役所の組織内に多く派遣するなど統治の仕組みを変える事で変化を引き起こし,定着させようとしている。また,法案を官僚任せでなく,自分たちでつくり出せる能力をつけようと,議員立法を非常に重視している。

リーダー個人のカリスマ性の重視と組織のありかたの変革の重視,どちらがいいかという問題ではなく,両方が必要であるということは,歴史が証明している。信長やナポレオンの統治は一瞬で消え去り,ベネツィア共和国や徳川政権は長続きした。多くの企業が創業者の偉大さに苦しみ,あるいは創業期から成長期への切り替えにつまずくのも,リーダーのカリスマ性だけで突破できる一定の条件をそろえることが難しい場合が多いからだ。だが一方で,カリスマ性の無いリーダー,弱気のリーダーのもとでは,創業期の困難を越える事はなかなか難しい。

平時の能吏,乱世の奸勇と評された曹操に連なる魏朝も,たった数代で司馬に取って代わられている。劉備,孫権,曹操らが無ければ三国鼎立もなかったろうが,いずれの王朝も三代を経ずしてトップから権力が内外部の勢力に簒奪されていった。また一方で,非常に多くの政権が,統治を支える官僚機構の肥大,疲弊によって次の時代へと権力を伝えられないできた。創業期をのりこえることも難しく,また一旦できあがった仕組みの自己保存本能を崩す事もまた難しいのだ。

昨日,実質上の選挙管理内閣となる麻生内閣が発足した。自民党総裁戦後の記者会見で麻生氏は「なんとなく」を連発していたが,総理就任の記者会見でもさすがに回数は減ったものの,やっぱり「なんとなく」を使っていた。単なる口癖なのだろうし,そういう人間らしいところも人気の秘密かもしれないが,個人的には耳障りな表現だった。

だが一方で,閣僚名簿の発表を自らし,各大臣への指示をその場でコメントするなど,麻生氏のパフォーマンスもこれくらい芸があるなら,変革の駆動力は備えているのかなとも思わされた。

いずれにしても,来るべき総選挙において,変革が着実に行われる様な政治的条件が整う事を望みたい。