李忠成選手の平衡感覚

昨晩のサッカーアジア大会で日本は優勝を勝ち取った。決め手は,日本社会に育った在日コリアン4世の日本人選手,李忠成選手のゴールだった。

印象に残ったのは,李忠成選手のことばだ。インタビュー記事でまず入ってきたのは,『俺がヒーローになるんだ!』と自分に言い聞かせながら常に自分を信じ続けピッチに入ったという言葉だった。サッカーに限らず,自分自身を語る選手が日本社会のスポーツ界でだんだん増えてきているが,成果をあげたヒーロー,ヒロインが語る時,自分の力を信じ,集中したという表現は,まだまだ日本社会では珍しいことと思う。

こうした表現は,個人主義の色合いが濃い,アメリカや西ヨーロッパの社会ではよく聞く言葉で,日本人選手であっても,そうした世界で活躍する選手の台詞としてはよく聞く。一方,集団主義の風潮が色濃く残る日本社会では,まわりのおかげ,支えてくださった人たちに感謝という言葉がまず口をついて出てくることが多い。こうした,個人主義社会と集団主義社会の違いの研究成果を紹介した「選択の科学」(フィナンシャル・タイムズ紙が選んだ2010年のビジネス書ベスト6)においても,まさにこうした違いが紹介されている。

李忠成選手の公式ブログでは,報道された,自分の努力を表す表現と共に,まわりのおかげと感謝する言葉も並べられている。国籍を日本に移しながらも,おそらくは多くの苦労を味わった選手だからことできる配慮だろう。

国内市場が縮小する中,日本企業は海外という資源を活用せざるを得ない。その場合,かの地の文化を理解し,尊敬した上で,日本社会の特徴をも持つという平衡感覚が求められる。李忠成選手のような,国際感覚を持つならば,そうした荒波にも立ち向かっていける。

【参考】2011/3/9グローバル人財シンポジウム開催(留学生支援・活用の参考情報)

留学生支援・活用の参考情報です。

<情報源>

http://www.ajinzai-chubu.jp/info/show.php?id=47

■グローバル人財シンポジウム
経済産業省委託事業 アジア人財資金構想高度実践留学生育成事業
グローバル人財シンポジウム「グローバル時代の人材戦略を考える」

日  時: 平成23年3月9日(水)13:30~16:30(開場13:00)
会  場: ヒルトン名古屋  28階 One O Five
定  員: 120名(先着順・参加費無料)
主  催: 経済産業省中部経済産業局
企画・運営: 社団法人中部産業連盟
【開催概要】
13:30 開催挨拶  経済産業省中部経済産業局
13:35 留学生支援の狙い  社団法人中部産業連盟
13:50 基調講演 立命館APU国際経営学学部長 横山研治氏
14:50 休憩
14:55 企業事例発表 (株)ダイセキ環境ソリューション
15:25 企業事例発表 アサヒビール(株)
16:25 閉会挨拶

読書メモ 外国語で発想するための日本語レッスン

先日の研修で速読した外国語で発想するための日本語レッスンを今晩はもう一度じっくり読んでみた。文章を分析的に読み,解釈と批判を加えるという欧米的な読書技術を扱った本である。自分の日本社会での違和感の要因の一つを発見するという思わぬ拾い物に少し感動した。先日参加した研修は,フォトリーディングという速読法の講座で,教材として読みたい本を二冊持参せよとのことであった。講座では二日間の間にフォトリーディングやその他の速読技術を繰り返して実践し,身につけるというもので、勝間和代氏や神田昌典氏の名前と共によく人々の口の端に載るようになってきたあれだ。

冒頭で紹介した本はたまたま前日書店をぶらついていた時に目に止まった本で,来週行う自分が講師のコミュニケーション講座のネタ拾いのつもりで購入した。

前置きが長くなったが,著者は,日本の国語教育の特徴として正答のある問い,登場人物の感情を想像することなどを重視するのに対し,欧米は文章について分析をさせ,論理的に説明させることを重視していると指摘している。欧米の教育事情は知らないが、少なくともこの本で紹介する講義の展開を重ねれば,生徒の論理性はかなり伸びるのではないかと思わされた。

中国の人たちは一般に理屈をたたみかける話し方をするが,それは多民族から構成されるという要因と、科学主義を標榜した共産主義社会という雰囲気によって熟成されたのかと思っていたが、国語教育が欧米式という可能性もあるなと思う。

そういうわけで中国の国語教育について興味をかきたてられたが,あいにく今はそれについて情報を提供してくれたり、つっこんだ議論をする相手が思い当たらない。そのうち,現地に行った時にでも調査してこようと思う。

アイデンティティ・クライシス

王貞治さんのご母堂が亡くなられたとの報に接した。王選手(私にとっては王さんは王選手と呼ぶのがしっくりするので,以降こう書かせていただく)は,中国・浙江省出身の父親,富山市出身の母親のもと,東京の中国料理店の次男として育てられたと報じられているが,そのことについては,自分の記憶をさかのぼると,小学生時代の学習雑誌で伝記漫画を読んだことがあるのを覚えている。

当時,こどもむけの雑誌にはまったく触れられていなかったが,おそらくは差別や偏見など様々な苦労が本人や家族を含め,いろいろと悩んだのだと思う。王選手がハンク・アーロンのホームラン世界記録を抜いたときは,日米では野球場の広さが違うからそれほどの価値はないだとか,様々な貶めがあったのを記憶している。

日本に長く滞在する外国人在住者たちは,祖国の社会とのつながり,在住地の社会とのつながりも軋轢を伴ったものになりがちで,自分は何者なのか,ここで自分は受け入れられるのだろうかと,人知れず,様々な苦労や悩みがあるのだろうと思う。私自身は留学や業務での渡航で比較的海外滞在期間が長いとはいえ,短期間,せいぜい1年間の寄留者ということもあってか,生まれ育った故郷以外での生活というのは刺激に満ちて楽しく,仕事もやりがいのあるところというイメージが大部分を占めている。だから軽々しく,その気持,わかるよ,とは言えないが,言葉や世界の捉え方の違う人達に囲まれて過ごした経験のあるものとして,そうした人たちの思いを受け止める機会があるなら受け止めたいと思う。

一方で,アイデンティティ・クライシスと同じような状況は,仕事を進める上では同じ国の人・社会の中で過ごしていても,感じるのだなと思う。たまたまここしばらく,役所や関係機関,民間事業者,金融機関と,異なった立場の人達の異なった見解を思いもかけず知ることになり,調整をしていた。その中で気づいたのは,自分は日本の役所の人たちの発想,経営者の人たちの発想などを予測できていなかったという事実であり,また,仕事で上司や取引先から指導,指摘を受けるのは,一つにはこうした組織単位独特の発想の枠組み,パターンを伝承・理解する意味でもあるのだとも感じた。もしその組織に染まりきっていない状況で,あるいは自分の価値観を確立していない状況で厳しい指導や指摘を受け続けていったとしたら,周りがたとえ同じ言葉を話す人達といえども,外国人社会にいるのと同じような圧迫を感じるのではないか,それは,後ろ向きであれば,自分は何も役立たないのではないかという自己無力感に,あるいは前向きな問いとしては自分とは何者か,何をなすべきかという問いに,つながるのではないかと思う。

私はよく自分のことを在日日本人と称しているし,考え方も変わっていると自他共に認めるのだが,自分の考えを相手が理解しないと怒っていても物事は解決しないことを経験的に学び,相手と共存を図る方法はなんだろうか,相手がそう表現したり考える裏にある考え方の枠組みはなんだろうかと考えるようになった。そうすることで,自己効力感の無さは,解消していった。

こうした壁や困難を乗り越えるとき,その人に,成長がある。目の前に,そうして苦しんでいる人がいるとき,だから頑張れというつもりはない。信じている,あなたなら乗り越えられると。そういう思いで見守っている。王選手が母親をたたえた言葉,「力強く生きてくれたことは、息子として誇りです。」というコメントがこの記事に掲載されていた。表には出せない苦しさがあったことをうかがわせると共に,家族として支え合った幸せが滲み出ることばである。

[日記]特別公務員が憲法を知らない?

麻生さんが憲法9条に書いてある表現を盛り込んだ文章を読み間違えたことがニュースになっています。それもよりにもよって,戦没者追悼式の式文で。憲法は,政府が暴走しないように枠をはめる公法の代表格で,遵守義務は主に政府関係者が対象となっているはずですが,総理はこの部分,声に出して読んだことは無いのでしょうかね。