「読書メモ」安心社会から信頼社会へ

今回とりあげるのは,安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)。2010年12月の課題本としてアウトプット勉強会(読書会)で取り上げられ,魚野はファシリテーターをつとめてきました。

会では,個人で仕事をしている場合と,チームで仕事をしている場合とで,信頼社会へのシフトの受け止め方が違っていたのが印象的でした。また,ヘッドライト型,地図型,いずれの知性も必要なのではという意見,安心社会が本当にくずれるのか,この点,課題本の論旨には説得力に欠けるのではといった意見,同じ著者の近著まで読んで検討したという報告,信頼社会に動かす誘因はなんだろうという疑問,日本社会を論じたものか,日本人論だったのかという疑問,来る社会に備えてスキルを磨きたい,あるいは自分のできることをしたいという決意表明など,いろいろと話が出てきました。

以下,うおの個人の読書感想文です。

信頼社会にシフトしていくだろうという論旨には共感。ただし,論拠に説得力あることをもっと書き込むべきだったと思う。論旨展開に対する違和感は,研究費取り扱いの非効率(p.5)に対する説明ですでに感じた。真因は間違いを許さない行政の不必要なまでの緻密さ要求(不寛容)であって,不信ではないのでは(不信が真因なら,とるべき対策は厳格な検査)。ところどころ出てくる実験結果の考察も,相関関係と因果関係を混同しているとまではいわないが,逆と対偶の問題があるのではと思う(具体的な懸念箇所は失念しました)。

信頼社会にシフトしていく動因を書き込むべきだったと思う。うおのが考える要因は,国際化,IT化,少子高齢化,新興国(特に中国)の勃興で,日本が,企業,農林漁業者,政府,個人,など社会のあらゆる面で,意図的,非意図的を問わず,海外とのつながらざるを得ない,故に,海外(*)での標準である信頼社会に移行するのが,日本が生き残るにはベターな選択,というもの。

*中国は安心社会型だという著者の近著の主張がメンバーから紹介されたが,その通りと思う。個人個人の主張は激しいが,企業や同郷といった属する集団とその外部との接し方の違いは,中国が日本と同様,近代的自我ではなく,封建的自我を持っていることを示すと思う(近代的・封建的自我の表現は魚野の勝手な造語。自我の壁が属する集団にまで広がっているのをなんて言うんでしたっけ?)。

近年進められてきた情報公開と手続きの透明性確保は,こうした社会学での成果を取り入れていいたのかと得心。でも,なぜこの二つが社会的不確実性を(今までの集団内での談合よりも)減らすことができるのかということについて論拠が示されていないので,論旨に共感,でも消化不良。

 著者は最後のまとめで,暗黙のうちに,日本やアジアが集団主義という見解をとっているが,この点は個人的には疑問。歴史的には個人主義の時代もあったのではと思うし,武士の倫理は個人主義的では,という意見。十七条憲法の「和」の精神も,集団主義の主張ではなく,動乱期を乗り越えて単に平和国家に移行したかったのではと思う(調べてないので,根拠はありません)。

 読書会での進行は,少し誘導的だった面があったかなと,この自分の意見を書きつつ思いました。

うおの

[読書]これからの「正義」の話をしよう

2010年10月の読書会の課題本はこれからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学。岡田斗司夫氏を迎えての会だった。結論からいうと,よく整理され,初心者にもわかりやすく構成された本であり,引き込まれるものがある一方で,自由・平等を謳歌している日本社会で育っていると気が付きにくい,国家からの自由,国家への自由といった,つい最近ようやく実現し,かつ,関係の深い近隣の国々ではいまだ模索している大事なことにより踏み込んでほしかったというもどかしさと,価値観が多様化する中で各自の判断基準を曲げられないのだから,コミュニティの合意形成・意思決定のルールや手順を定め,守るしか,対処方法はないのではという疑問について何かしらヒントを得られるかなと思って読んでくと肩透かしを食うという,ものたりなさもあわせ持つ本だ。

●「正義」を考える

日本社会で暮らしていると,「正義」なんて考え,議論する機会は,めったにない。重要なのは,みんながどう感じ,どう考えているかをつかむ,つまり空気を読むことが重要であって,個人個人がどう考えるかは,法学部の学生や司法関係者でもない限り,あまりお目にかからない。旧共通一次世代なので,高校時代は社会科,例えば日本史や世界史,倫理社会の科目でずいぶん級友と,正義とは何か,どう実現するのかといったことを話したが,正面きってそんな話をしたのはせいぜい高校2年までで,あとは,中国留学から帰国した直後,天安門事件が起き,まわりの同級生が真剣に隣国の様子を議論していたのを横目でみていた程度。日本人の知人とそうしたことを話すのは,せいぜい飲み屋での政治談義くらいだったかと思う。本来なら,政治こそこうした論議を必要とする分野なのだろうが。

飲み屋の政治談義やブログ,ツイッター系発言の多くは,事実を踏まえていなかったり,論理の飛躍があったり,感情論だったり。海外に出張したり旅行したりするとちょこちょこそんな話もするのだが,日本ではせいぜい中国系の知人と日中関係を話し込む時くらいしか,社会のあり方,政治の判断基準を論理的に話すことはない。

●充実感と物足りなさと

本の印象は,NHKの「白熱教室」で報じられていた講義と同じく,構成がよく練られているなという印象だ。具体的な事例を引きながら,意見を募る。様々な発言が出てくると,教授が持つフレームワークの中で整理し,その意見を要約したり,別の表現で言い換える。そうすることで,学生,聴講生,読者は,知らず知らずのうちに,そのフレームワークに沿った検討ができる。「白熱教室」では聴講者から,鋭い意見が次々出てくるようにみえるが,これはひとつにはアメリカという主張する文化の国,さらにはハーバードという優秀な学生が集まる場での開催ということもあるが,見逃せないのは,サンデル教授が論点をさりげなく引っ張り出したり暗示しているという芸のうまさだ。この本には,検討が積み重ねられた講義準備の重みが詰まっている。

一方で,東洋社会に所属する者としては物足りなさも覚えた。コミュニタリアニズムがなぜ注目を浴びているのか,なぜコミュニタリアニズムや共通善が自由・平等や人格といったものと同じ土俵で並び立つのか,今ひとつこの本ではわかりにくい。そもそも「幸福・自由・美徳」という論の立て方には,どうしても違和感を覚える。コミュニティ共通の美徳を追い求めようという提案そのものが,多元化し,交錯する価値観の違いを人間集団の中で実現できるかというと,根源的にムリなのではないかと思う。例えば自然に囲まれた隠遁生活について,東洋社会で暮らしている人ならば誰かがそんな生活をし始めたときいて違和感を持つ人がそれほど多いとは思えないが,欧米系の人々となると,理解は得られるだろうが,共感とか,憧憬とまではいきにくいのではないか。

所有権とか,個人・人格,政府対国民といった,境界のはっきりした個人とそれ以外という考えに基づく自由・平等を獲得していった西欧社会を前提とするのではなく,所属集団を人格の一部ととらえがちな東洋社会からの視点や,個人主義を突き詰めた視点,つまり,正義の基準は人によって違うことを認め合わなけれなならない時代,合意できるのはせいぜい,暴力を使わないことと,合意の手順を決めることの二つくらいではないのか。ロールズが提唱した公正としての正義の論は,それに耐えぬく力を持っているように見え,コミュニタリアニズムよりも説得力があるように思える。

尖閣諸島(釣魚島)の衝突事故で考えたこと

中国のインターネット上では日本政府が尖閣諸島(中国側の呼称は釣魚島)で衝突事故を起こした船舶の乗員を開放したことを中国の勝利だと祝っている声が多い。普段は中国政府の専制に反対している民主化勢力まで,同じようなことを述べており,民族主義的な主張が中国内で盛り上がっているように見える。だが,本当の勝利とはなんだろうか。

折しも日本は与党民主党の代表戦の真っ最中で,外交問題,安全保障問題への対応に遅れが生じるのではないかと懸念されていたが,発生後,1週間も立たないうちに船舶の航行に責任や権限を持たない一般乗員を帰国させ,責任者である船長を,日本国内の法令に則って取調べを継続している。個人的にはこれは手落ちがあったとまでは言えず,むしろ,冷静な対応をしていると評価している。一方,中国政府も,社会の安定を重視する立場から,この件で当然予想される民間の過激な行動をある程度抑制することに成功しているようだ。

今回の事件に,中国側は度々,丹羽宇一郎駐中国大使を呼び出し,抗議の意思を伝えている。その回数はすでに5回に及び,5回目は深夜に呼び出している。魚野が違和感を持つのは,中国側との面会の際,丹羽大使が述べた日本政府の立場や見解を,中国の報道機関が報道しないことだ。報道抑制は当然,中国当局の意思が影響しているのだろうが,国民が一方的な公式見解を聞かされ,別の見解や反論が知らされにくい,言い出しにくい社会は,民主化の遅れと評価されても仕方なかろう。この意味で,中国の民主化勢力が乗員の帰国決定を中国の勝利だというのは,甚だ違和感を覚える。

もっとも,日本の報道も,深夜呼び出すという行為について感情的に非礼だと見解を述べることはあっても,なぜそのタイミングで深夜呼び出したのか,どのような事情があるのか,分析や検証が見られなかった。日本の報道機関が速報性を重視し,分析や解説が少ないという,構造的な問題が背景にある。中国が,気ままに振舞う大国主義的な外交は長い歴史のあることであり,経済成長が世界で突出する中,こうした態度をとることは不思議なことではない。日本の外交は,こうしたことを織り込み済みで,冷静な対応をしている。社会の安定を重視する中国の政権が,報道規制をしていることも,不思議ではないが,より注目すべきなのは,例えばなぜ深夜呼び出しがあったのかについての嫌がらせ以外の要素にあるのではないか。そうした深い内情を知ることで,有効な,win-winとなる対抗手段も出てこよう。

日本は,幸いそうした自由な報道,検証活動の伝統を根付かせている。これは中国に対する強みであり,中国の報道機関も,外国メディアの引用という形で巧みに当局の意思に反する内容の報道をしていることを考えれば,こうした冷静な中国国内の分析は,中国社会に民主化を促す材料となろう。

本当の勝利とは,政府見解に対して,疑問や反対意見の表明,検証が自由にでき,国民がそれらの議論を通じて自分の見解を固めていき,社会の意思決定ができるという,民主的なプロセス,市民自ら考えるという習慣を根付かせることができていることであり,その意味で,今回の事故の対応を見る限り,いずれも勝利者とは言えない。

在中国因特网的社会里有许多人士说,日本政府解放在尖閣諸島(中方叫钓鱼岛)发生冲撞事故的渔船乘员就是中国的胜利。日常反对中国政府的专制的民主势力也说这样,可以说在中国国内民族主义的风气起来。可真的胜利是什么?

目前,日本与党民主党举行着代表选举,有的人士担心对于这个外交,安全问题的日本政府的对应不适,可事故发生后一个星期以内解放没有责任,没有权限的一般工人,按日本国内的规定继续审讯负责人。我觉得这样对应不可以说有错误,与其批评冷静的。另一方面,从重视社会稳定,中国政府也努力控制容易可发的民间人士的过激活动而得。

中国政府按这个事件已招丹羽宇一郎駐中国大使,表示抗议的意思。召大使已五次而第五次的传唤发了深夜。我觉得不调和的感觉的事是中方报道机关不管丹羽大使表明的日本政府的意见。这样报道控制大概影响中国政府的意思的,可也可以说,不容易发表,得到伟伦,反论的社会不适合民主社会,还在专制社会。按这样的看法,我觉得中国民主分子说乘员回国是中国的胜利这样的意见很奇怪。

但是,日方的报道机关对于深夜招呼大使的中方行动只说不礼貌,可还没有剖析为什么在这个日期做了深夜招呼,有什么事情。这样事情的后面有日本报道机关的重视报道速度,不重视剖析,解说的想法。中国的大国主义外交有历史,目前的经济发达也突出,中方的态度没有奇怪的。日本外交已熟悉中方的这样习惯,已做冷静的对应。中国共产党政权重视社会稳定,控制报道也很自然。重点就是为什么深夜招呼,故意使人不痛快的行动要素以外有什么事情等等。知道这样内部信息,可以考虑到实现win-win关系的手段。

在日本,可以说我们很幸福,公民可以得到自由报道,鉴证的活动的恩惠。这个就是对于中国的优点。中方报道机关常常利用外国媒体的报道,介绍和政府的看法不一样的意见。有这样的需要的话,日方的冷静剖析中国国内政治因该使中国社会进一步民主化。

我想的真真的胜利就是对于政府的意见,有表示异议,反对,剖析的自由,而实现普及公民也按这个议论做自己的看法,社会也按自由的议论做决定的民主过程,定着公民自己考虑的习惯的社会。从这样的看法来看,日中两国还没到胜利。

読書メモ:ビジョナリーカンパニー3

課題本:ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階

1年ぶりくらいに読書会に出席した際の課題本。出席を再開した目的は,
仕事や個人環境の激変の中で,コミュニケーションで刺激を受けたかっ
たため。

また,課題本を読む目的として,仕事(コンサルティング)で応用でき
そうなヒントと,してはいけないアドバイスのヒントをもらうことを設
定した。

自己流マインドマップを作って参加したが,その過程で感じたのは,洋
書の例にもれず,構成がしっかりしていて話の展開がロジカルなこと,
論拠として事例を多数引用していること。「2」を読まないとわからな
いことがあるようなので,急遽,会場に向かうバスの中で,積ん読だっ
た「2」をざっと速読。偉大な企業が没落したという事例紹介と5段階
が「3」の新しいところで,その他は結構重なっているなと感じつつ,
会場入り。

会に参加して得た刺激としては,あぁやっぱり日本は今何段階だろうと
考える人が多いのだなぁという感慨と,ざっと読みだけではいざという
時に論拠としてぱっと本の何ページにこうこう書いてあったと指摘でき
ないもどかしさ,参加者の紹介されたバイクメーカー盛衰史の内容が
仕事に使えそうなこと,など。

応用できそうなヒントとしては,段階が進んでいても,リーダーにめぐ
まれれば復活できるという点と,そのリーダーに求められる資質条件,
してはいけないという意味で参考になりそうなことは見つけられなかっ
たが,今関わっている事業者さんが一発逆転策をとるのを支援している
ので,第五水準リーダーシップの発揮を促さなくてはと思った次第。


読書メモ 外国語で発想するための日本語レッスン

先日の研修で速読した外国語で発想するための日本語レッスンを今晩はもう一度じっくり読んでみた。文章を分析的に読み,解釈と批判を加えるという欧米的な読書技術を扱った本である。自分の日本社会での違和感の要因の一つを発見するという思わぬ拾い物に少し感動した。先日参加した研修は,フォトリーディングという速読法の講座で,教材として読みたい本を二冊持参せよとのことであった。講座では二日間の間にフォトリーディングやその他の速読技術を繰り返して実践し,身につけるというもので、勝間和代氏や神田昌典氏の名前と共によく人々の口の端に載るようになってきたあれだ。

冒頭で紹介した本はたまたま前日書店をぶらついていた時に目に止まった本で,来週行う自分が講師のコミュニケーション講座のネタ拾いのつもりで購入した。

前置きが長くなったが,著者は,日本の国語教育の特徴として正答のある問い,登場人物の感情を想像することなどを重視するのに対し,欧米は文章について分析をさせ,論理的に説明させることを重視していると指摘している。欧米の教育事情は知らないが、少なくともこの本で紹介する講義の展開を重ねれば,生徒の論理性はかなり伸びるのではないかと思わされた。

中国の人たちは一般に理屈をたたみかける話し方をするが,それは多民族から構成されるという要因と、科学主義を標榜した共産主義社会という雰囲気によって熟成されたのかと思っていたが、国語教育が欧米式という可能性もあるなと思う。

そういうわけで中国の国語教育について興味をかきたてられたが,あいにく今はそれについて情報を提供してくれたり、つっこんだ議論をする相手が思い当たらない。そのうち,現地に行った時にでも調査してこようと思う。

中国の学問の自由

中国では学問の世界においても共産党の指導のもとというのが今までの常識だったが,一つの波紋が今,中国で広がっているようである。昨日,筆者はたまたま在日中国人を中心とした研究者ネットワークに参加したが,そこで見聞きしたことを含め,中国における学問の自由を考える。

最近,元北京大学学長許智宏氏が華中科技大学で行った「科学精神と実践」講座の講演が,中国国内で大きな反響をよんだ。武漢を拠点とする長江日報が講演の内容を伝えたところ,その内容がインターネット上のニュースサイトなどを中心に次々と転載され,ネット上で議論が巻き起こったとのことである(数万人が意見を述べたと伝える「漢網」)。講演の中で,許智宏氏は,「中国目前没有世界一流大学(今,中国には世界一流といえる大学はない)」と述べており,ネット上では賛同の声で溢れていたという。

世界一流大学の仲間入りのプロジェクトは,北京大学では1998年5月4日の北京大学百周年記念式典で発表されたもので,総額300億元以上(日本円で約3,900億円)の投資になるであろうとのことである。設備や教員たちは世界一流といえる部分もおそらくはあるであろう。しかし許氏は,国際的知名度,人類文明への影響と社会経済発展の成果,人類文明に大いに貢献する優秀な学生の輩出という3つの基準において,中国にはまだ世界一流といえる大学はないという。

中国では,法律の規制により,ニュースを独自にインターネット上で発信することはごく限られた組織しか出来ず,一般サイトやマスコミは,こうした公認サイトからならニュースを転載・発信して良いことになっている。それゆえ,こうした本音や社会の実態といったような発言やニュースが公認サイトから発信されると,瞬く間に転載されていく。そうした中で,「ネット上で議論が行われ,行政との関係を断ち切らなければ,中国のアカデミー界は何時まで経っても一 流になれないという意見が多くの賛同を得た」などと,間接的な表現で,巧みに本音を伝える意見が掲載されたりする。

また,教育界,学問の世界での共産党の影響力も未だ強い。共産党青年団への加入は学生の間では,名誉なことと考えられているーーーただ,必ずしも共産主義の理想に共鳴してという理由で加入する学生は多くないのが現在の実態のようだが。現在執行されている政策に対する批判も,以前のようなタブーではなくなり,活発に対案や批判が公の場でなされるようになったが,一党独裁に対する批判は,少なくとも影響力のある知識人がそれを行えば,投獄などの可能性もある。

では海外の中国人研究者たちの学問の自由はどのようなものだろうか。

アカデミックの世界には非常勤講師としてしか関わってきていないが,筆者はたまたま昨日,研究者ネットワークの集まりに加入してきた。加入したのは在日中国人研究者を中心とした研究者のネットワークであり,日本人研究者の加入者の割合は1/4であった。当日は中日中国大使館の公使参事官ら行政担当者も出席し,挨拶もされた。会のリーダーは冒頭の挨拶で行政の「指導」をいただきながらという表現をつかい,日本の産業界の人士が役所の人間にへりくだる時に使うのと全く同じ表現で,行政への気遣いをした。また,担当者が,研究発表を聴講するとともに,ディスカッションにも加わった。

こうした経験ひとつだけで,在外中国人研究者が中国政府の影響下にあると主張するつもりはない。来日した政府関係者から,中国の行政の現状を嘆き,一党独裁制に対する疑問の声を聞いたこともあるし,中国国内でも,個人同士の対話の場では,政府に対する批判はよく耳にするようになった。

だが,ネットワーク上の議論で,「行政の影響を排除しなければ一流になれない」といった意見に賛同が多く集まる現状を見ると,実態としてはその逆(影響が未だ強い状況)であり,それを変えたほうがよいという考えを持っている人も多いが,実現はしていないということなのだろう。

学問の自由,つまり政府の監督を受けないという考え方が西側の研究者社会のみならず,司法の分野でも強く意識されている。逆にそうしたことが,校内暴力などの秩序の崩壊や,学力・研究力の低下につながっているという批判もあるが,大学など高等教育機関の自治は長い時代を経て育まれてきた統治原理の一つであり,学問の世界が政府とは独自の立場にあることが許されることは,思想・信条の自由にもつながる市民の権利の一つだ。だが,中国では今でもそうした考えはとらず,共産党や行政の管理体制が未だ学問の世界でも残っており,在外研究者もそうした体制から全く逃れられているわけではなさそうだ。

海角7号を見てきた

知人と海角7号を見てきた。台湾で,好成績を収めたという映画だ。なんでも台湾映画としては,台湾での興行収入第一位とか。日本人も多数出演しており,日本と縁の深い地域でつくられた映画として,日本統治時代に関わるエピソードをからめたり,日本人や日本経済との関わりを入れ込むなど,なるほどなと思う。

映画の内容自体は,努力しても報われていなかった人たちが互いにぶつかり合う中で,理解しあい,最後に…というもので,ストーリーとしては王道の類だ。ところどころ笑えるよう,泣かせるよう,スパイス的な要素も取り入れられ,後半は飽きさせない。台湾のガチャガチャ感だとか,日本や日本人への複雑な思いとか,そんなところも映像やセリフのあちこちから伝わってきて,台湾や中国に興味を持っている人ならそんなところも楽しめるだろう。個人的には日本語,台湾語,中国語の三種類が聞けるということでも楽しい時間だった。

日本人の出演者たち,ことに中国語をしゃべり,台湾で働いているという主役級は,たくさんの中国語のセリフを使いこなすのに大変だったろう。そこそこ聞ける中国語になっていて,役柄でも完璧でない中国語を話すということになっていることもあり,それほど妙な感じはなかった。一方で,長い日本語のセリフをしゃべるときは棒読みかと思わせるような違和感があった。

なぜ,この映画が興行収入一位になったのかと興味をもってみてみたが,自分なりの結論は,努力しているのにあまり報われていない人たちの姿が,国際社会の中での台湾の姿に重なることもひとつの要因かなと思った。大陸の経済発展や,それに伴なう外交圧力などにより,台湾の国際社会での地位は相対的にかなり低下してきている。自分たちは民主化だとか経済建設でこんなに努力しているのに,それほど成功している人たち(国)とちがわないのにという思いと共通点があるように思う。

もっとも,一緒に見に行った留学生はそれは違うんじゃないかという意見のようで,主にエンターテイメントとしての面白さを挙げていた。この留学生はしょっちゅう映画を見ているので,生涯でまだ10本くらいしか見ていない自分の意見よりは的確なのかもとその場では思ったが,一位の座を得るほどの秘密が何にあると考えているかは,聞きそびれてしまった。

たまには映画もいいものです。次は「泣きながら生きて」かな。

[日誌]KG-PL105Sインプレッション(1)-小型LEDプロジェクタがやってきた

KG-PL105S - 包装の段ボール。本体は韓国製らしい。KG

加賀電子の小型LEDプロジェクタ,KG-PL105Sが我が家にやってきた。まずは外観や,同梱物などについての印象を。

大きさはメーカーのサイトなどで知ることができる。突起部分はゴム脚やフォーカスリングが多少あるくらいで,ほとんど立方体だ。電源部分がアダプター方式なので,本体はそれほど重いとは感じない。もっとも,アダプタをあわせた重さは結構あり,持ち歩くのを考えると,多少大きさが大きくなってもいいから,電源部分を一体化して欲しいと思う。

キャンペーン中だったこともあり,スクリーンとバッグをつけてもらったが,製品にはソフトケースが同梱されている。ウレタンの袋が2つついていて,どうつかうのかとまどったが,タグが「TAXAN」と「Accessories」になっていて,どうやら大きい方に電源アダプタやコード類を収納するようだ。

今のところ,一番気になっているのがレンズ部分にカバーがないことである。レンズがむき出しになっており,本体の面からやや引っ込んではいるものの,持ち歩いている最中に傷つけはしないかとかなり心配である。

動作音はそこそこ静かだが,LEDランプだからといってファン無しでは済まされないようだ。筐体が小型なこともあり,ファンがどうしても小型になって回転数を挙げざるを得ないのか,風切り音がする。もっとも,試してみた自室での使用では,画像に集中すれば気にならないし,ラジオが鳴っていたり,室外の風にそよぐ枝の音などがかき消してしまう程度の音量だ。

外観はシンプルで,本体に搭載されているボタンの照明も,設定によって消すことが可能。注意書きなどは日本語の他に,中国語(簡体字)や英語などが表示されている。本体のメニューでは表示言語に日本語,英語,簡体字,フランス語,スペイン語が選択できる。マニュアルは日本語と英語での表記があった。

次回は出先での事業者との面談に使うことを主な目的に,LEDプロジェクタの実力を試してみたい。

[日記]特別公務員が憲法を知らない?

麻生さんが憲法9条に書いてある表現を盛り込んだ文章を読み間違えたことがニュースになっています。それもよりにもよって,戦没者追悼式の式文で。憲法は,政府が暴走しないように枠をはめる公法の代表格で,遵守義務は主に政府関係者が対象となっているはずですが,総理はこの部分,声に出して読んだことは無いのでしょうかね。

[日誌]カイゼンがもたらすもの

8月初旬,アメリカのスターバックスがトヨタ流の「カイゼン」を取り入れて業績が回復していることについての報道を受け,いくつかのサイトで批判的な趣旨のとりあげ方がされていた(ex. 47newsの記事Business Media 誠での記事)。コーヒーが素早くきちんと提供できるように取り組むことと,客が気持ちよく過ごす時間と空間を提供することが矛盾すると関係者が考えているとしたら,いまだ「カイゼン」の価値や内容を正確に認識していないといえるのではないか。

「カイゼン」について批判的に述べられた記事を読んでみると,スターバックスが,工場のような効率の改善を重視したら,同社が重視してきた雰囲気,もてなし,コーヒーなどについてのこだわりを軽視するのではないかという懸念があるようだ。そこには,確かに無駄を排除し,効率化を目指すという「カイゼン」の一断面がとらえられている。

しかし,「カイゼン」については効率化の実現の他にもうひとつ着目すべき点がある。自分(たち)の仕事のやりかたを見直し,改善案を提案し,実際に効果を上げていくことがもたらす組織づくり,ひとづくりが進む方策となり得るという点だ。ムダを発見することは,観察や気づきの力を伸ばすし,効果を実感することは,参加者の自己評価の向上につながる。

人育ち,組織育ちの支援には,成果重視の考え方の他に,過程重視,人間関係重視などの視点がある。「カイゼン」について反射的に批判する人たちの間には,「カイゼン」が成果を出すことを最重視しているという思い込みがあるのではないだろうか。

実際に「カイゼン」活動を通じて組織の活性化をはかってきた経験からすれば,効率向上の成果のみを重視し,評価することは禁じ手の一つだといえる。参加者が取り組んでいる活動内容の成果を最大化するための支援は大いに大切だが,成果が最大の目的になってしまうと活動や考えのおしつけになり,参加者の自主的な取組の気持ちが失われ,結果として全体の成果は小さくなってしまう。逆に,おしつけがなければ,スターバックスの例で言えば,よいコーヒーとよいサービスで心地よい時空間を提供しようという会社のアイデンティティと矛盾するようなアイディアは,スターバックスのような経営理念がきちんと従業員や社会に浸透した会社内であれば,自然に排除されていくだろう。

取り組んでいる事業所の中で,効率化重視に対する疑問が多く出ているのだとしたら,それはいまだ「カイゼン」活動の趣旨がうまく伝わっていないのだろう。活動の推進側にも,業務成果と組織活性化の両方をバランスよく目指す感覚が求められるし,報道,コメントする側も,この日本が発見した一流の経営手法の根本をふまえた報道や応援,批判がほしいところだ。