ハルピン出身のおばさん

今日の夕飯はカツ丼屋さんで外食。そこで,日本語に独特のくせのある発音や表現がある年配の女性がいたので,支払いの時にちょっと話をしてみた。聞くと,やはりハルピン(中国の東北部にある中核都市のひとつ)から来たとのこと。

母語の影響というのは一定のパターンがあるなぁとあらためて思う。というのも,この女性のしゃべり方と,知り合いの中国東北出身の人達のしゃべり方にたくさんの共通点があるから。レジの締めをしていてうまく動かないのか,「どうして」などとつぶやくイントネーションとか,言葉の選びとか。シャーロックホームズは言葉を聞いてかなり細かく出身地を特定したことになっているが,事例をたくさん集めれば確かにそんな芸当も可能なんだろう。

かの女性は,年をとっているからなかなか日本語が上達しないといっていたが,なかなかどうして,しっかりした文法を使いこなしていて,構文はそんじょそこらの日本人よりしっかりしている。日本語を話すのに,日本人のように話す事を目標にする必要はないと思う。多様性を活力につなげたいなら,自分達と違う事をもってして否定的な評価を下していてはだめだ。発音や言い回しの正確さよりも,むしろ,正確な意思の伝達ができるかどうかを評価基準とするべき。

さてはて,そんな基準をたてたとき,自分は日本語をうまく話しているんだろうか。

[日誌]本日の予定

午前:論文校正の続き

午後:原稿引き渡しとディスカッション

夕方:文房具仕入@栄・名古屋駅

[日誌]カイゼンがもたらすもの

8月初旬,アメリカのスターバックスがトヨタ流の「カイゼン」を取り入れて業績が回復していることについての報道を受け,いくつかのサイトで批判的な趣旨のとりあげ方がされていた(ex. 47newsの記事Business Media 誠での記事)。コーヒーが素早くきちんと提供できるように取り組むことと,客が気持ちよく過ごす時間と空間を提供することが矛盾すると関係者が考えているとしたら,いまだ「カイゼン」の価値や内容を正確に認識していないといえるのではないか。

「カイゼン」について批判的に述べられた記事を読んでみると,スターバックスが,工場のような効率の改善を重視したら,同社が重視してきた雰囲気,もてなし,コーヒーなどについてのこだわりを軽視するのではないかという懸念があるようだ。そこには,確かに無駄を排除し,効率化を目指すという「カイゼン」の一断面がとらえられている。

しかし,「カイゼン」については効率化の実現の他にもうひとつ着目すべき点がある。自分(たち)の仕事のやりかたを見直し,改善案を提案し,実際に効果を上げていくことがもたらす組織づくり,ひとづくりが進む方策となり得るという点だ。ムダを発見することは,観察や気づきの力を伸ばすし,効果を実感することは,参加者の自己評価の向上につながる。

人育ち,組織育ちの支援には,成果重視の考え方の他に,過程重視,人間関係重視などの視点がある。「カイゼン」について反射的に批判する人たちの間には,「カイゼン」が成果を出すことを最重視しているという思い込みがあるのではないだろうか。

実際に「カイゼン」活動を通じて組織の活性化をはかってきた経験からすれば,効率向上の成果のみを重視し,評価することは禁じ手の一つだといえる。参加者が取り組んでいる活動内容の成果を最大化するための支援は大いに大切だが,成果が最大の目的になってしまうと活動や考えのおしつけになり,参加者の自主的な取組の気持ちが失われ,結果として全体の成果は小さくなってしまう。逆に,おしつけがなければ,スターバックスの例で言えば,よいコーヒーとよいサービスで心地よい時空間を提供しようという会社のアイデンティティと矛盾するようなアイディアは,スターバックスのような経営理念がきちんと従業員や社会に浸透した会社内であれば,自然に排除されていくだろう。

取り組んでいる事業所の中で,効率化重視に対する疑問が多く出ているのだとしたら,それはいまだ「カイゼン」活動の趣旨がうまく伝わっていないのだろう。活動の推進側にも,業務成果と組織活性化の両方をバランスよく目指す感覚が求められるし,報道,コメントする側も,この日本が発見した一流の経営手法の根本をふまえた報道や応援,批判がほしいところだ。

[日記]コミュニケーション

知人宅でパソコンのメンテとテレビの接続のメンテを行う。3時過ぎに始めて終わったのは10時過ぎ。夢中になってやっていたので,時間がそんなに遅くなっていたことに気がつかなかった。

依頼した知人は自他共に認める気が短い人。一方で,こちらはどちらかといえばかなりののんびり派。まるで、落語の「長短」のような関係で、知り合ってもう5年。普段は普通の人間関係だけれど,海外旅行が長くなるとけんかが始まったりするのと同じで,結構攻撃的なことばをかけられることもある。今回は受信状況が変わっていないじゃないか,わかっていないのにいろいろと試しているだけと攻められたりした。まぁ前者は事実なので認めざるを得ないし、後者は,原理を知っているからこそ,試行錯誤の中では最短で結果にたどり着くことを目指しているのだが,それは一般の人にはわかりにくい。

知らないことは自力で調べて,自分で対処する,こちらが知っていることで目の前の人が悩んでいた場合,相手の状況に応じてヒントを出したり,見守ったりする,こんなコミュニケーションや行動が習慣化してしまったので,誰かに頼ること、誰かに頼られることは、どうも未だに不得手だと自覚している。今回はその典型例かな。

果たして,不機嫌のスイッチをおしてしまったきっかけが,相手の想定以上に時間がかかったことなのか,それによって予定が狂ってしまったらしいことによるものなのか,黙って作業をしていたことで固い雰囲気を作ったことなのか,それともその他のことなのか,今のところ皆目見当がつかない。少し時間が経過したら聞いてみたい気もするけれど,本人の奥底にある気持ちというものは,言葉で聞いても後付の理屈で片付けられ,却ってそれが本心だったかのように思われても困る。

そういうわけで,謎は謎のまま。

[日記]覇王別姫

京劇観劇。知人の留学生と,覇王別姫を見に行ってきた。やはり,現場で見るのは迫力が違う。

以前,昆劇として野猪林をテレビ番組で見たことはあったが,個人的にはちょっとなじみのない水滸伝からとられた題材で、中国語もまだ初心者レベルだったこともあって,よくわからないという印象だった。

今回は違った。馴染みのある項羽と劉邦の物語。映画「覇王別姫」もどこかへの海外出張の際に見ている。中国語のレベルも中級の上くらいには上がった。一緒に見に行く人とちょっとした文化論議や評論をするという楽しみ(プレッシャー?)もあった。そのために,「京劇の世界」なる小冊子も買い込んで、予習をみっちりした。

そんなこんなで,午後は仕事を早めに切り上げ(るつもりだったのが,仕事をたのまれて,実際に同行者に会いにいけたのは約束の時間ぎりぎりだったが),愛知県芸術劇場へ。改装されてからこの大劇場へは初めて入る。港湾会館や市民会館,厚生年金会館,鶴舞公会堂など、結構あちこちの舞台に立ったことはあるが,大劇場へは観客として入ることすら初めてで,欧風のオペラ劇場の様な上階の張り出し席があるのにびっくりした。

さて,京劇である。3列目の席で、少し端の方ではあったが,舞台の振動が直接伝わってくる。同行者が用意していてくれたオペラグラスで俳優を観察すると,目の動きや服装の文様がくっきりはっきりと目に飛び込んできて,プロの仕事に感動の連続だった。

なにより,色遣いが見事だった。計算し尽くされて居るであろう配色がどんどんきりかわっていく。マスゲームとオペラを足して二で割った様な,飽きさせない舞台である。

残念ながら、名古屋の観客は自分も含めて京劇慣れしていない。おそらくは声をかけるところだろうな,拍手をするべきだろうなというところでも,最初の頃は観客は身じろぎもしなかった。

しかし,場が進むにつれ,どんどんと舞台と観客の一体感が進んできた。特に,観客席の後ろの方から,しばしば「好(はお!)」という京劇独特のかけ声がかかる。歌舞伎で俳優の屋号を叫ぶタイミングが難しい様に,これも常連の観客の見せ場なのだろう。

項羽の気は山を蓋うという歌のところで,この劇で唯一,琴が奏でられた。一番の山場だ。同行者がこっそり,項羽の有名な詩だと教えてくれる。楽曲で,詩歌で,日中が古代中国という文化を共有しているなと感じる。

そして終場。項羽の自刃で唐突に、劇は終わった。ちょっと、西洋的なおわりかたかな。もうひとつ気になった点。字幕が出ていたのだが,虞姫は奥さんという扱いだった。同行者と,じゃあなんと訳すべきかと,首をひねってみた。ぱっと思いつかない。徳川政権時代なら、部屋の名前で呼んだりするのだろうけれど、項羽は転戦つづきで,それもないだろう。

はてさて,まだまだ日中の掛橋となるのは難しい。でも、新たな発見にあふれた,楽しい道でもある。

[日誌]大阪出張

本日は農商工連携の案件関係で,午後からのある制度の説明を聞くため,大阪に出張。ついでに,懸案となっている知人の知財プロジェクトについてアドバイス,情報交換を目的に,面会。

[日記]確定申告いまだ確定せず

税務署から手紙が来た。確定申告書の送信がされていないというのだが,こちらとしてはe-taxのシステムを使って送信したつもりでいたので,どうもよくわからない。来週,時間をとってしっかり話をきいておかなければ。

[日記]身辺雑記

最近、ideapadに顔認識でログインできる機能に気づきました。でも、照明の加減などですんなりといくことは多くはないです。めがねをかけたりはずしたりでも別人と認識されるとのこと。画面に映った自分の顔をみながら顔を傾けてみたりするんですが、年齢を重ねたなぁとあらためて実感する今日この頃。

昨晩はイタリアはナポリの知人からのメールに返信を書き、論文書きに没頭していた知人からスカイプのメッセージの返信が来て少しチャット。イタリア語のほうはあまりに久しぶりに使うので、辞書を引き引き、近況報告を書いていました。チャットのほうは中国語だったり、日本語だったり。不思議なもので、三ヶ国語が一度に頭の中に浮かんでくるのではなく、ある瞬間は必ずどれかひとつの言語で考えたり、読んだりしています。モードが切り替わるような気分。

訴訟をしていた知人もようやくひと段落ついたようで、後始末の対応のアドバイスをメールで送りました。今年は高校時代の同級生がロースクールに入学するとのことで、こちらも負けずに日々精進しなければ。

[日記]雑記

今日も礼拝にも出ず、ひたすら仕事環境の構築。ふりかえってみると、11月のバザーの後に1回出て以来、ずっと欠席していることになる。

妹よりメール。実母とけんかしたとのこと。めずらしいこともあるものだ。

明日はラジオで日中韓の青年の交流を取り扱ったラジオ番組があり、ちょっと期待している。