2012/04/19 の魚野のつぶやき

  • 文献を渉猟していて異文化適応力診断テストを発見。やはりあるものですね。-> ICAPS 18:45:02, 2012-04-19
  • 主張のための主張,国内権力闘争の道具のいずれかあるいは両方では。RT @srisri03: 中国ホント不思議な国。こんなリゾート建てる土地わんさかあるのに何故他国の土地欲しいのか? RT @kuono 上海の近郊にできるという新しいホテル。http://t.co/LLtDwixp 20:01:15, 2012-04-19
  • 本日の駅構内読書はアサーション入門。自己点検方法や鍛錬法,支える理論などが新書らしく簡潔にまとまっている。基本的にはできていると思うが,その背景にある考え方を知る事ができた点がよかった。 23:52:05, 2012-04-19

平和教育とディベート能力

早めの仕事納めののち,知人の紹介で,数年前に独立された元某メーカー生産技術の技術者さんにお会いし,話を伺ってきた。中国にからんだビジネスに関心があるとのことで,特に日本の技術を活かしたい中国企業と日本の企業のマッチングに興味があるとのこと。今すぐどうこうというわけではないが,そんなニーズを持ちそうな企業も知らぬわけではなし,また,今の仕事から次のステージに移るときにも何かしら協力できるのかも。

で,その後,仲介してくれた中国人留学生といつものように中国語と日本語をまぜこぜにした討論会兼食事会。

  • [留学生] 日本社会が集団主義であることから,社会全体が特定の方向にながされやすい傾向があるという感触を持っており,隣国に対する嫌悪感を募らせる危険があるのでは。
  • [魚野 ] 日本の学校教育での平和教育や報道などでの平和重視の姿勢が徹底している現状,第二次世界大戦の記憶が未だ色濃く人々に残っている現状では,戦争という極限状態にまで至る可能性は低いと思う。
  • [留学生] 日本の学校教育では平和教育が普及しているのは承知しているが,残虐さ,悲惨さを避けるために戦争という手段をとるべきでないという論旨は感情論である。一方で,戦争は利害調整の究極の形であり,戦争を避ける手段として,人々が利害調整を話し合いで行うスキルを見につけることが望ましいが,日本ではそのような教育は行われていないのでは。
  • [魚野 ] 戦争とは利害調整の手段だという捉え方だと,戦争を考える上で,大きな利益のために小さな利益は捨てるべきという考えに行き着く可能性があり,それは平等や平和という観点から好ましくないのでは。
  • [魚野 ] また,話し合いによる調整の教育は,主にホームルーム活動という場で行われており,重視されているはず。ただし,日本では社会に出るといきなり上下関係で人間関係や仕事の上での思考を捉えるよう強制的に切り替えさせられ,合理的な意見を採用する(Win-Winの関係を築く)という解決方法がとられない傾向が非常に強かった。従い,ビジネスパーソンや官僚,学者などをのぞき,一般の人々にはディベートの能力の訓練の機会がほとんどなかった。
  • [留学生] ホームルーム活動というのは初めて知った。今後,調べてみたい。

といったような塩梅で,金山駅近くの食堂でラーメンを食べながら延々と議論をしておりました。

平和構築には人々のディベート能力が大切という指摘は,自分にとっては新鮮でした。

[日記]広島・長崎・日本が取り組むべき事

朝日新聞の報道によれば,南京の虐殺記念館で日本の漫画家が自身の戦争体験を描いた「私の八月十五日展」が開催され,連日多くの人が訪れているという。アニメ・マンガ分野での日本の知名度を活かし,南京という日本の加害が色濃く記憶に残されている地域で開催したという点で,よく工夫された良い取り組みだと思う。

従来,広島,長崎の両被爆地はもとより,日本の反戦活動も,日本が唯一の被爆地だという主張や,日本の庶民は多くは消極的,あるいは強制的に参加させられた戦争によって、甚大な被害を被ったという前提で反戦や反核の主張を訴えてきたが,その主張が海外で広く受け入れられてきたとはいいがたい。

戦争について,自分の所の方がより被害が甚大だ,自分の所に受けた攻撃手段こそ優先して無くすべきだという主張は,道理がそれぞれの主張にあったとしても、感情としては受け入れがたいものがあるだろう。

行うべき行動は,被害者同士の注目のとりあいではなく,被害者同士—戦争の被害者は,国境を越えて広がっている—の連帯と,被害の深刻さ・悲惨さを知らない無邪気な人たちや,高みに居て得てして戦争を仕掛けようとする政治家・軍人を説得するための情報や感情の共有ではないだろうか。

日本とアジアの戦後の連帯は、経済的な援助にたよった打算的な関係と,経済成長をいち早く成し遂げた日本への憧憬を主流とし,両者の戦争被害者としての感情はすれ違いのまま終わってきたように思う。それが,この南京での取り組みのような勇気ある行動の積み重ねによって,ようやく新しい時代を迎えつつあると感じる。

[日記]ウルムチでの争乱

中国・新疆ウィグル地域で民族対立や公権力による暴力的な取り締まり対応がひどくなっている事を憂慮している。ウルムチは会社勤めをしていた頃に何度も訪れた場所であり,そんなところで力の論理が幅をきかせている事は,残念きわまりない。

この地域は,以前から紛争の種だった。私がよく訪れた頃は地下核実験以外の話題はなく,治安の面で不安は目立たなかった。が,後任者は爆弾テロやデモがある中で出張をせざるを得ず,気の毒な事であった。だが,訪問者の不安はさておき,地元の人たちの不安や怒りも相当のものだろう。

中国の指導部は様々な面で和諧ということばを強調している。これは,多民族国家であり,価値観の多様化が今後ますます進む中国では,必要な事だろうし,重要な事でもあろう。

ところが,その和諧を促したいはずの当の為政者側が武器を使って強権的な取り締まりをしているのだから,話はおかしくなる。伝え聞くところでは,デモ隊に向かって直接発砲が行われたとの事で,天安門事件の時と,対応は変わっていない。

また,報道のあり方も,あいかわらずだ。漢民族の被害だけを強調するような報道を流し続けるような媒体しか活動を許されない状況は,戦前の日本やかつての中国,ソ連と同じく,国の存続を危うくする要因となり得よう。

理想論では統治はうまくいかないということをさしひいても,現在の新疆ウィグル地域の情勢は憂慮すべきものがある。

[日記]同じ理屈が通じる?

殺人事件の時効の成立した後に自首した男に対して被害者の親族が損害賠償を請求する民事訴訟で,最高裁判所が支払命令を不服とした男の上告を棄却したという報道があった(判決全文)。この判決自体はなるほどと思うのだが,だとすると戦前戦中の強制労働や徴用の最中に亡くなった人たちへの補償を排除してき続けたのはどうなの?と思う。

殺人犯が遺体を隠してしまったために親族が被害者が亡くなったことを知ることができなかった中で損害賠償を得ることができない一方で,刑事責任については時効が成立して問えないというのでは公平を欠くということのようだ。

戦前,戦中は朝鮮半島や中国など日本の支配地から,労働者としてずいぶん多くの人が強制的に日本に連れてこられたはず。わけもわからず日本に連れてこられて過酷な環境から死に至った人々の親族からの様々な請求について,日本の裁判所は国同士で決着がついているからと,ずっと拒んできている。先方の家族からすれば生死も長年わからず,国交が回復したりして長い時間をかけ,ようやく行方がわかったというのに,関係者はいずれも責任を問われなかったりしているのは,納得がいかないことだろう。

法律の専門家からすればまったく違うといわれるのかもしれないが,素人感覚でいえば,同じ理屈が通じるのではないかと思ってしまう。

[日記]豚インフル続報

先ほど,WHOが新型インフルエンザについて,現在の警戒状態の格付けをフェーズ4にあげた。しっかりした情報源の情報をつかんで,合理的に対処することが大切だ。

メキシコでの感染死亡者が拡大している。のみならず,メキシコからの帰国者を中心に,各国に感染が広がっているようだ。人の移動を制限し始めるフェーズ4に警戒レベルが引き上げられたということは,経済にも少なからず,影響が出てくるだろう。

いいかげんな情報に惑わされず,おちついて対応したい。症状が出ていたり,感染させる疑いがある期間は一週間程度とみられているそうだ。慎重に感染をおさえこめば,短期間で収束する可能性もあろう。厚生労働省などの発表する情報で,1)準備しておくこと,2)現在起こっていること,3)今後起こると予想されること,の三点を理解しておくことが重要だ。

[日記]非招待の飛翔体

先ほど飛翔体が発射されたとのこと。関係者の方々には最大限この機会を活かしきってほしいと思います。

今回の事態,日本政府にとっては警戒システムの訓練ができたり,閉塞感の強い六カ国協議だけでなく安保理での議題にのせる理由付けになったりと,活用できる要因がたくさんできました。人工衛星という理由付けからして第二弾はないでしょうし,懸念された部品落下などによる被害も今のところなかったばかりか,ブースターロケットがどうやら予定通りの地点に落ちなかったらしい—つまり技術的にはまだ問題点が存在するらしい—など,予測された中では日本にとってはかなりよい筋書に沿って事態は進んだようです

危機感をあおって自分たちの有利な状況を作り出そうとする相手の戦略にのる必要性は薄いでしょうし,事態をエスカレートさせても日本が得る利益は少ないでしょうから,あまり騒ぐのもいかがなものかと思いますが,この点,戦前の軍部と違い,自衛隊関係者はやるべきことを粛々と進めているようで,評価したいと思います。アメリカはすでにイラクとアフガンあたりで相当軍事力や外交資源を投入していますから,できれば北朝鮮と現時点ではことを構えたくないはず。北朝鮮側もこれを見越した動きなのでしょう。

中国ウォッチャーとしては,今後の中国の動きに注目したいと思います。

想いが通じなくとも

アフガニスタンからペシャワール会というNPO団体で活動し,現地のゲリラに襲撃された伊藤さんが無言の帰国をした。遺族や関係者の方々にお悔やみを申し述べたい。自らの理想をおしつけること無く,ともに生きる,人々のために生きることを実践し,現地の人々に慕われてきたのに,自らの主張を実現させるための道具として扱われ,命を奪われるに至ったこと,誠に理不尽で,やりきれない思いである。現地の治安が悪化しているとのことで,残っていた他の数少ない支援活動組織の外国人職員,参加者の現地引き上げがあいついでいるとのこと。想いがつたわらないもどかしさ,自らの力では変えようも無い国際紛争の構造に,携わってきた方々の無念の想いも強いであろう。

どんなに崇高な理念での活動であっても,その想いが通じないこともある。歴史上繰り返されてきたことではあるのだが,同時代の出来事として受け入れるのはなかなか難しい。安全確保や事業の実現,理念の理解を得るためにできうる限りのことをしつつ,時には最善を尽くしたことをせめてもの慰めに,現実を受け入れざるを得ない。

海外に関わることは,楽しみも多いが,苦しみも多い。互いに理解しあえたときのよろこびや,対立を乗り越えて何かを実現したときのよろこびは至上のものだが,ボタンの掛け違いや,自分たちの考えや理想こそが唯一の正しいものという考えがあると,対立は深刻になる。時には,最も悲しい結末を避けるために,自分たちの主張を呑み込むこともある。より大きな理想を実現するためになら,引くというのも苦渋の選択の一つとなろう。

ペシャワール会をはじめとして今回一時的撤退を余儀なくされた人たちは,現地での活動を何らかの形で,例えば現地スタッフを中心にするなどして続けるとしている。常に理想のために,関係者の尊厳を尊重しつつベストを尽くすという姿勢を見習いたい。

長崎原爆の日

先ほど長崎での記念式典中継が終わった。長崎では,微力ではあるが無力ではないとして,高校生が核兵器廃絶や平和を求める署名を集め,国連本部や欧州本部などにとでける活動をしているそうである。

昨今,日本には多くの外国人が仕事,観光,留学など様々な理由で訪れるようになった。それらの人々にとって,あるいは日本に関心を抱く外国人にとって,日本を訪れる意義は美しい自然や洗練された産業技術,文化を直接見,体験することにあろう。中国や韓国の驚異的な経済発展と同様,日本も機会をつかむための努力を重ね,今日の繁栄を迎えたことはほこっても良いことと思う。

そうした日本を訪ねる外国からの来訪者はもちろんのこと,日本社会で育った人々にも,広島や長崎を訪れ,何があったかを自分の目で確かめる機会を持ってほしいと思う。様々な遺構,遺品,体験者の証言に触れると,原爆や戦争被災者の体験した苦しみ,悲しみが,今私たちが抱えている悲しみ,苦しみに比べて圧倒的に大きいことに気づかされる。自分の抱えている悩みが小さなことだと気づけば,新たな一歩,前向きの一歩が踏み出せるのではないか。