三重県にて

先日,三重県の知人を訪ねてきた。台風12号の際,川が氾濫して浸水した地域だ。襲来から1ヶ月あまりがたっていたが,川の堤防沿いの家屋は1階部分を修繕しているところばかりで,あるところには歪んだ形のままの自動車がいまだ置かれていた。地元の新聞は,避難所に生活している人の様子とともに,ボランティアセンターの縮小が伝えられていた。その日もこの地域あたりでは,300人ほどが後片付けの手伝いなどの活動をしているとのことであった。

尋ねた先も1階部分は完全に水没していたらしい。塩水ではなかったためか,壁には痕跡らしいものは注意してみなければ見つからなかったが,床上2m以上にまで水が溢れていたようだ。多くの人がたずさわったのであろう。家の中はかなり片付いてはいたが,真新しい電話機が痛々しく,別の部屋には事務機器や生産設備,扱っている商品などが積み重ねられていた。

阪神大震災のときもそうだったが,私は力仕事は得意ではない。どちらかというと,被災した人たちの話を聞き,淡々と被害状況を調べる,そんなことを今回もしていた。災害がやってきた時,それまでの平常時に解決できていなかった,一番弱い所に一番大きな問題が発生する。人間関係,事業の進め方,etc, etc, ...。皆怒ったり,泣いたり,感情の揺れ動く中,自分まで流されてなるかと自分の気持を抑えこむのに懸命だった。

過去のことが何度も蒸し返される。他人のせいだ,社会のせいだ言わんばかりの言葉が何度も出る。ことばがいつまでも堂々巡りをする。たしなめる者,触れない者,共感する者,それぞれが,傷ついた者の心の傷を広げない様,慎重に言葉を選びながら,突拍子も無いアイディアをあえて出し,意識を将来に向けるように仕向け,一歩一歩,少しづつ,歩むべき道を探っていく。なんとか歩み寄れそうな,しかし,本当に実現できるのか,大いに不安のある,ガラス細工の合意事項がまとまり,皆で署名したのが午前3時。

翌朝,またしても新たな出来事に見舞われた。事態が深刻だから,もう一歩踏み込みたいと。昨晩,頑なに拒否された提案を,もう一度検討し直さなければならない。頭を抱えた。だが,いいだした側も真剣だった。自分が大切にしてきたものを犠牲にしてでも,そうしなければならないと。合理的に考えれば,確かにそれしかない,よく決断したと,心のなかで讃えながらも,もう一方の当事者の説得を試みるのに躊躇する。我慢しようという言葉はかけられない。そうしようとして,深く傷ついているのだから。一緒に乗り越えよう。そう声をかける。受け入れてあげて欲しい。あなたがこれ以上傷つけないよう,最大限の工夫をするといっているよと。

何時間も話し合った。最後にはついに,拒否の言葉がでなくなった。受け入れる心の準備がようやく整ったのだろう。提案者は,別の関係者の説得のために,席をはずし,再び戻ってきて報告するには,なんとか新しい合意内容で進められそうだと。もちろん,2回目の案も,どこか触ればすぐにでも崩れそうな案だ。しかし,傍から見ていて,確かにこれが一番ではないかという案でもある。

現場を離れる時間がやってきた。再び泣きそうな顔をしている当事者に,いつでもまた力になるから,必要になったら呼んで欲しい,必ず来るからと声をかけ,車に乗り込んだ。

被害は未だ,回復していない。心の傷も,目に見える,建物,設備,商品の姿も痛々しいままだ。だが,今回,皆が一同に会し,徹底的に話をすることで,今まで解決できていなかったことが,一歩踏み出した形になった。車の中で,20年後に迎える記念日に何をしようかと,話をする余裕ができた。

乗り越えられない試練は与えられない。そう信じてやっていくしかない。