不思議なロジック

今日は週に一度の中国経済研究会の日—などというと大げすぎ?。大陸からの留学生と、中国経済(特に農業関係)の報道や論文などについて議論している(経済・農業の専門用語に慣れたいので、音読にも時間を結構割いているけれども)。もともとは中国語の 勉強を経済関係の資料をテキストにして女子留学生に頼んでバイトしてもらっていたのだが、研究発表が近く忙しくなってきたとのことで男子学部生に一時交代 してもらった。どちらかというとことばがコミュニケーションが中心テーマだった授業からいきなり専門知識と議論に焦点が移り、それはそれで大変ではあるが 面白く思っている。

先週は朱首相の施政方針演説を、今週は研究者の中国農業に関する論文をとりあげた。不思議なロジックというのは後者の方で、工業化が進むと農業のコストが上昇するということが書いてあるのだが、どうもロジックが理解できない。先生役の学生も理解できないといっていたので、私の中国語の水準の問題ではないようだ。

考えられることが3つある。(1)研究者が、大陸政府の公式見解以上のことを発表しようとしていない、(2)中国特有の事情の説明が端折られている、(3)単にその研究者の説明技術のレベルが低い。個人的には(2)がもっとも可能性が高いと思うのだが、真相や如何に。

求道者会,再開

今日、ひとりの姉妹が信仰告白をおこなってパプテスマを受ける決心をしたというニュースを聞いた。育てたもうは神なり。

印パ緊張

インドとパキスタンが一触即発の状態にある。カシミール地方の領有権をめぐる争いは、世紀を越えて再び発火点に近づきつつある。両国は核爆弾を保有しており、通常爆弾での攻撃に対する反撃に使われる可能性も示唆されている。もちろん通常兵器での攻撃でさえ住民が悲惨な状況に陥ることは目に見えているが、核爆弾が使われるとすれば、およそ日本では想像だにできないような悲惨な事態となろう。都市部の(特に低所得層の)高人口密度、病院・衛生施設の低普及率、教育水準の低さ(これは救急やその後の治療の困難さを助長するだろう)、厳格な性役割分担、伝統社会の因習……。両国社会の現状は、大規模な対市民攻撃がおこったときの状況を一層悪化させる条件が揃っている。両国が持っている核兵器は、ピンポ イント攻撃をするようなタイプではないだろう。そして上述の条件と重なって、いざ事が起こった時の住民の悲惨さを思うと、立ち尽くすしかない自分の無力さを思う。

今回の事態では、またしても米英が調停の主役を演じるのだろう。いまのところ当然関わってくるだろうと思われるロシア、中国の表立った活動は見られない。旧宗主国と被植民支配国、対アフガニスタン戦争の主役・脇役、近隣関 係。ほめられたものではないだろうけれどもそういうものを使ってでも、何とか緊張をやわらげられないだろうか。

不思議に思うのはムシャラフ大統領という人物だ。腐敗した前大統領を軍事クーデターで排除し、民政移管をほぼ約束通りに進め、米国の対アフガン戦争への協力を選択したなど、個人的には現実的な政治をおこなう人物という認識だった—ここにあげた個々の政策選択はいずれも軽々に賛成すべきでないという思いはある—が、なぜ通常戦力でも核戦力でも勝ち目のないインドとの対抗を激化させているのだろうか。国内での不人気を外交問題でそらそうというのなら、 危険すぎる賭けである。

両国に対抗を思いとどまらせる効果的な方法はないものだろうか。日本は何ができるだろうか。日本人は何ができるだろうか。両国を説得できるロジック、外交カードはないものだろうか。今日はそればかり考えていた。

受験申し込みをする

昨日郵便局で診断士の受験費用を払い込み、今日は簡易書き留めで申込書を発送した。最終的な結果が出るのが12月、まだ半年もある。飽かず倦まずやっていこうと思う。

こどもへの接し方

先日、あるかたから、自分のこどもが魚野になつくのに、父親に接する様に無防備に接するのが心配に なったという率直なご意見をいただいた。こどもたちとあそんでいて抱き上げることもよくあるが、確かにちいさな女の子を家族でもない先生でもない男がそん なことをしているのを見て、違和感を覚えるというのはありうることかもしれない。その指摘をして下さった方は、こどもへの暴力を防ぐちからをこどもに育てる活動CAPのセミナーに参加されたことがあるとか。

伝聞ということもある が、CAPの活動や主張をきいて感じたことは、納得できる部分もあり、なんとなく腑に落ちない部分もあるということである。こども自身の危険から逃れる力を育てる運動のようだが、では安心してじゃれてくるのを拒否した方がいいといっているのだろうか。納得できない部分というのは、こどもに接するのに、こどもが尊重されていることを伝えることで、自分が『OK』だという評価をできるようになる、そうなるようにという思いで接してきたから、なんとなくそれとしっくりこないことだ。こういう考え方は心理学の世界では有名な話なので、CAPの活動を主催している人たちも当然知っているだろうが、どういうことをいっているのだろうか。接し方をセーブすべきなのだろうか、あるいは別の要素を加えれば、そのまま甘えさせてもいいのだろうか。

今回は自分で調べずに、知人の幼児教育の専門家に助言を求めてみたところ、CAPの主導者の名前、いくつかの参考書、連絡先を瞬く間に教えてくれた。早速本を取り寄せる手配をする。

白書

日曜日に買い求めた2002年版中小企業白書をざっと読んでみました。いくつか感想を。

  • 事例激減
  • 図表の標題が刺激的
  • しかし、図の意味がわかりにくくなった(例えば図1-1-17は何の変動を表しているかは本文を読まないとわからない)
  • コラムができて、読み物としては面白くなった面もあり
  • 注の番号のつけ方が変わった。フォントも変わった。ひょっとしてLaTeXで作った?←でも数式が汚いので、違うでしょう

またまとめておかなければ。今週は一次試験の受付が始まります。

ようやく一段落

のぞみ園のページの改訂版が、ようやく公開できた。GoLive6の問題、ソースコードの問題、AirH”がぶつぶつ途切れる問題などいろいろあったが、2日かけてなんとか目標達成。

朝顔芽吹く

週明けにプランターに植えた朝顔が昨日芽吹きはじめた。そういえば、小学生の頃に朝顔の発芽はふたばから本葉へと進むと習った覚えがある。しかし、なぜふ たばがあらわれるのかという話を聞いたかどうかは覚えがない。なぜなんだろう。ふたばはより効率良くエネルギーを生産しているのだろうか。

よいひより

朝から鳥の鳴き声で目が覚める。岐阜の市街地に住んでいるのでさすがに茨城の時のようにうぐいすが一日中啼いているという環境ではないが、目の前の窓からは隣家の畑と、遠くの鈴鹿山脈が飛び込んでくるという環境は、まんざらでもない。

こどもを叱るということ

 
今日は教会学校のこどもたち・親達と近所のボーリング場へ。外に出かけるということでこども達は朝から浮き足立っている。お昼を食べようとして、ちょっと
した事件が起きた。小学生のこどものひとりが、母親にだだをこねている。直前に、いつもは一緒に仲良く遊んでいる仲間と離れ、ひとりでいたのを見ていたの
で、どうやらまた場をしきろうとして仲間はずれにされたことをすねているのだ、親に甘えたいのだと見当をつけた。ちょっと母親との言い争いを見守っていた
のだが、弁当のおかずをぼろぼろ床にこぼすに及んで見かねて大声で叱り飛ばした。

 
自分自身の親の理不尽な扱いに納得がいかなかったから、ボーイスカウトのリーダー時代も、あるいは教会学校の教師をやっていても、考えながら、こどもと接
するときはこうあろうという姿を思い描きながら話そうとしてきたが、なかなか思うようにはいかないもの。怒るのではなく、叱るのだということ、なぜ叱られ
るのかをこどもに納得させることを実現しようとしても、やはり毎日こどもと接しているわけではないからなかなか実際にやってみると、後から考えてあそこが
不十分だったと思うことも多い。

 一方で、自分の価値観を見つけだすという意義
があることに気付いた。前回やはりこどもに声を荒げたのは、こどもが別のこどもを後ろから蹴ったときだった。今日は食べ物をいらいらしてこぼすということ
に対してである。食べ物を粗末にするなとか、卑怯なことをするなとか、弱いものいじめをするなとかいったあたりが、どうやら私の譲れない価値観であるらし
い。

 だが、なぜ叱られるかをちゃんとこどもが納得できるよう話さなければ、結
局私と父母との関係と同じである。おとなのちからでこどもの心をねじふせても、心の奥底からの納得でなければ表面的には従ったように見えても親・指導者の
尊厳は失われる。こどもがそんな行動をとった理由を充分聞いてやれたか、それはこどものそのときの感情を前提にしてなるほどと思えるか(なるほどと思えな
いときは、たいていこどもが自分に都合のいいように意識的に、あるいは無意識的にストーリーを書き換えている)、そのあたりは今日は若干不十分だっただろ
う。その上でおとなとしての自分がどう思ったかをこどもに伝えたか、こどもの、自分の行動についての評価反省を自分で気付かせられたか、この点については
今日は充分ではなかったろう。感情のたかぶりがおさまってきたことだけを確認し、自分の行動の評価をさせてやる段階を軽くなぞるだけだったように思う。

 一方で親の喜ぶ行動ばかりをしようというこどももいる。1人でいるときと、おとなや友達と一緒にいるときでは表情の違うこどもがいる。こどもらしさ(自分の感情を素直に表せるということ)を心の奥にしまいこませると、いつかそのエネルギーが噴出する。

 こどもを叱るのは 難しい。