ホタル覚え書き

ホタルと人口自然環境の話。

地方再生物語 「ホタルで町おこし」の大きな間違い “環境ブーム”が引き起こした取り返しのつかない自然破壊
(2008/07/31) NBOnlineより

魚野が関わっている「野並のぞみ園」の近くには,相生山という丘陵地帯があり,そこにヒメボタルが棲息している。しかし,最近道路開発が進み,一気に環境破壊が進んでくだんのヒメボタルが壊滅的打撃を受けるのではないかと懸念されている。道路予定地からかなり離れたのぞみ園近くの雑木林でも飛んでいるので,いつまでも見たいものだなぁ,できれば数が増えてほしいなぁと思う。個人的にはのぞみ園の取組のアイディアの一つとしてホタルの飼育環境を整えるということを考えたこともあるが,やはりあるがままの自然をできるだけ残し,生かすという努力をしたいもの。

野村の「眼」

一昨晩は外出から戻った後に咳がひどくなり,夜中に牛乳を飲んだりメンタムや経皮鎮痛・消炎剤をのどあたりにぬってみたりしながら寝付けず,明け方まで咳き込んでいた。最後には本を読んで気を紛らわすことにした。幸い夜中でも気温は低くなく,本を読む体制で床についていてもそれほど気分が悪化することは無い。

読んでいたのは『野村の「眼」 弱者の戦い』。プロ野球楽天監督の野村克也氏が最近出版したものを大学の図書館で見つけ,借りてきたもの。元プロ選手,プロ野球監督としての「リーダーの条件や組織論,情報戦略」について,現役,引退を問わず,選手や監督を素材として自分の考えを語っている。

血液型と選手論,監督論を結びつけた部分だけはひどいものだと思ったが,その他紹介されている経験談,分析は,なるほどと納得できたりその通りと共感できる内容ばかりだった。

なかでも印象に残ったのは,長い選手生活の中で,野球論を何度も繰り返し,同僚・知人らと戦わせてきていることだった。若い頃,コミュニケーションを忌避しがちだった私にとっては,惜しいことをしたなと思わされる体験談である。また,昨今の企業倫理,正確には企業経営者幹部倫理を根本問題とした企業不祥事を防ぐ上で,技術論,あるべき論を組織内の人員同士が語り合うことは大切な規範遵守意識浸透の手段の一つともなろう。

ようやく世が明けた頃に就寝。目覚めたのが昼頃で,なんとか咳はおさまったが,あいかわらず炎症はおさまっていないようで,結局終日声が出なかった。もっとも,それにきづいたのは,夕刻ようやく近所に買い物に行って,お礼を言おうとしてささやき声しか出なかったときなのだが。

のどの炎症つづく

昨日もひきつづきしゃっくりが止まらず,咳も出ていたが,熱が引いたせいか,何かしらしようという気になれた。投稿原稿の著者校訂,メールへの返事,社会保険事務,パソコンのサポートなどの処理。ただし,夜は咳がひどくなり,寝付けない。

土曜日までには何が何でも直しておかないとまずいので,今日の遠出は遠慮しておいた方が無難か。

転換点

症状の一番ひどい時期はやはり昨日だったようで,朝方には咳やしゃっくりがひどかったものの,晩には薬やら栄養剤やらを購入するために外出する気力を回復してきた。昼間はずっと寝ていたが,どうやら名古屋は雷が長い時間鳴っていたようで,気温も低めであり,クーラーをほとんど使わずに済んだことも幸いしたようだ。過ぎてしまえば分かるのだが,昨日の朝が症状の転換点か。

転換点といえば,国のいろんな政策が今,転換点にある。なかでも私が関心を寄せているのは,外国人労働者の受け入れ問題。私個人としては,日本社会の一段の成長と活力の復活のため,多いに外国人労働者を受け入れるべきと考えているが,考えておかなければならない点も多い。

日本の国の政策は,表向きは依然として単純労働者受け入れ拒否が原則であるものの,看護・介護の分野の一部受け入れ開始決定が既に行われている。与党のプロジェクトチームでは,着々と外国人労働者の受け入れに関わる話し合いが進んでいるようだ。一方,民主党側の対応はと調べてみたが,一応研究はしているらしいものの,その成果は公にされていない。

ではなぜ外国人労働者の受け入れが問題となっているのだろうか。これは日本の予想される近未来に関係している。社会が極端に高齢化し,大幅な人口減少が近い将来確実に見込まれる中で,経済を維持するためには外国人の受け入れしかない。価値観が多様化し,封建的な集団主義から近代的な個人主義に転換しつつある日本では,国民にこどもの数を増やすことを強制できないからだ。働く人が少なくなると,消費活動を行う人が減り,税金を納める人が減る。これが,企業にとっても政府にとっても,一気に対応策の選択肢を狭める原因となる。人口減少に比例した経済の縮小均衡も選択肢の一つではあるが,それは極端な現役世代への負荷増大を伴うものであり,現実的ではない。

自分のところで人口・労働者人口を増やせないならば,外部から導入するしか方策が無いわけであるが,外国人労働者の受け入れが全てを解決するわけでもないし,実施上の懸念点も多くある。日本は近代化の中で,価値観的な広がりが狭い国であったが,価値観の受け入れという点で,これを頭から拒否したりして,互いに疎外感,疑心暗鬼を生まないかという懸念がある。実際,英国,フランス,ドイツ,イタリアなどいずれも貧しい若者が排外主義に安易に走り,悲惨な事件が時折発生している。民主主義,平等主義,個人主義の発信国である欧州先進国でこのような問題点が起こっているのは,人間の心の狭さの根深さを表している。ましてや日本においては,阪神淡路大震災などをきっかけに遅まきながら市民社会の到来を迎えようとはしているものの,同様の事件が発生する懸念は強い。折しも経済の構造転換の中で,ワーキングプア問題など若者の不満,不安が鬱積している時期に,安易に受け入れを決めても混乱が起こるだろう。

外国人労働者の受け入れは,単に経済施策の一つとして議論するのではなく,社会意識の改革を伴ったものとならなければならない。日本社会がこの難局を乗り切っていけるのか。興味深い問題である。

復活の兆し

昨日は礼拝を休み,自宅でおとなしく修養。ようやく体調が元に戻ってきたようで,喉の腫れはおさまってはいないものの,何かをしようという気力が出てきた。

ベランダには緑のカーテンがすっかり出来上がり,毎日のように朝顔やトマトの可憐な花や実の熟成を楽しませてくれる。小さなプランターなので猛暑がつづくこのごろは日に何度か水をやらないとしおれてしまうのだが,昨日は幸い夕立があったようで(その時間は眠っていて,雷が鳴っていたことだけが夢うつつに記憶に残っている),重い身体を動かす手間が省けた。

今の居住環境は段ボール箱に入れた本が山積みになっているせいか,ややほこりも多く,クーラーをかけると必要以上に湿度も下がる。これでは風邪を引けといっている様なものなので,明日は期末試験の採点にでかける傍ら,空気清浄機と加湿器を物色しようかなと思う。

暑気あたりではなく,夏風邪?

深夜目が覚める。最初は熱中症かと思っていたのだが,どうやら夏風邪を引いた様子。

先週後半よりかすれていた声は少しもどってきたが,ひきつづき微熱があるようで,今朝出始めたしゃっくりも,寝ている間はわからないが,目が覚めるとしばらくしてぶり返して来る。咳は重くなってはいないが,頻度が高くなった。身体が重いのは相変わらず。

折しも名古屋は日中は猛暑日,夜は熱帯夜がつづいており,軽い冷房は欠かせない。自律神経系統の不調に冷房はあまりよくないのだろうが。

ブログ専用のソフトを導入してみました

微熱続きで静養を心がける中,ブログ管理システムとして有名な WordPress を当サイトに導入し,とりあえず,2000年1月までの記録のうち,まだ旧サイトに残っていたものは複写してみた。

日々の記述の更新頻度が上がるかな?

あてが外れたかなぁ

先月,試験をやたら受験していたということは既に記載したが,その一つは昨年にも受けており,引き続いての受験。先ほど,その連続受験した試験の今年の結果を入手した。

主催者や母集団が違ったりするので直接比べることはできないのだが,昨年は偏差値60.8,つまり上位14%の中にいたのに対し,今年は偏差値57.8, つまり自分より上位の人たちは全体の2割2分。全体での位置はかなり下がったというべきか。不思議なのは,一番できなかったと思った科目がもっとも成績が よく,割と手応えがあった科目はそこそこだったこと。

TOEICでは順調に成績を伸ばせたのでちょっと安心していたが,まだまだやっぱり気を抜かずに学んでいかなければと思う。

さて,次の試験は診断士の理論更新研修の論文試験かな。

蝉あらわる

本日はのぞみ園にてこどもたちの遊び相手とオリーブの剪定。いつのまにか知らない顔が増えていたので,こどもたちに顔を売ってきました。帰りがけ,アブラゼミを園庭で今夏初捕獲。昨日夕方に自宅で,近くの公園から鳴き声が聞こえてきたのが今年の初鳴き。

のぞみ園は最近,昼間にタヌキを見かけるようになったそうで,相生山の道路工事で追い立てられているのかなと心配してみたり。そういえば,今年はついつい 相生山のヒメボタルを見のがしてしまいました。年長児たちと今月,豊田の山奥にキャンプにいって来る際,現地で見てきます。

剪定作業が終わった後に,保護者の方がたてられたお茶をいただきました。のぞみ園に来るこどもたちは活発で,年少児でもジャングルジムに上ったり,一輪車 に挑戦したり。そんなこどもたちの相手をしつつ,一服。コンサルティングの世界から離れてたまにはこんな休みもいいものです—土日に礼拝や仕事が多い 私には,火・水が週末。明日は締め切りに遅れている原稿を仕上げる予定。

言葉は人をつくる

自分の前回のエントリーの表題を見て,いつまでもこの表題が最新のままではいかんなと思いつつ,このエントリを記入している。自分が発した言葉は,そのまま自分に帰ってくるのだ。

仕事柄,いろんな会合に出席する。昨日もその一つに出席し,出席者の一人が感情的にムキになっていくプロセスを目の当たりにした。一旦とびだした感情的な言葉は,我慢していた感情を吹き出させるきっかけになる。

感情的な視点,上下関係でしか人間関係をとらえない視点,この二点は自分としてはできるだけ避けたいと思っている。そういう話をすると,ときどき,我慢することはかえってよくないのではと聞かれることがある。

もちろんその通り。自分の感情を吐き出すことを我慢するのは,よいことではない。しつけだとか,鍛錬だとかいったいいわけで他人に感情を出させないことや行動をさせないことを強制するのをよく見かけるが,かえって爆発のエネルギーを試させているだけだと思う。

ではやたらめったら吐き出すことがいいのか。それもはた迷惑な話で,さいげんもなく愚痴や悪口を聞かされると,いいかげんうんざりしてくる。

そもそも,そんな汚れた感情を持たないようになれればいいのだ。汚れた感情が吹き出しているところを避けて,前向きな視点,人として後ろめたさのない気持ちを持つよう心がけていれば,だんだん汚れた感情は出て来なくなる。

というわけで,人が自分を変えようと思ったら,自分の口癖は何かといったところから気にしてみると,案外簡単に自分を変えられたりすると思う今日この頃。